エミール クラウス
彼らは都会を嫌い、静かな田園の広がるこの村の美しさと、そこに暮らす農民たちの姿を生き生きと描いている。エミールクラウスはその第二世代に活躍した人で、1880年代後期までは写実主義に近い作風だが、90年代頃からモネの影響で印象派っぽい描き方に変わっていく。前に観に行ったフェルメールと作風は違うものの、こちらも光りを描くのが上手い。リュミニスム(光輝主義)というんだそうな。
フェルメールとの決定的な違いは、フェルメールが室内の窓から差し込む光り(と、その反射光)を見事に表現する一方、エミールは殆どが屋外の絵だ。しかも逆光。描く人物像も、フェルメールはそこそこ裕福な人たちを描いているが、エミールは農民が主役だ。まぁ、国も違えば生きた時代も200年以上違う訳で、比べること自体がナンセンスなのだが、要するに2人が僕の好みの画家だというコトだ。

”ピクニック風景” これが今回の目玉だったんじゃないだろうか?手前にいる家族は地元の農民たち。草ぼうぼうの荒れた野原で、食べ物はあるのか無いのか判らないが、子供たちは親のそばから離れずにいる。お父さんらしき人はいない。一方、川を挟んで向こう岸には都会から来た富裕層の連中が優雅に楽しんでいる。キレイに手入れされた草原。川には食事を用意しているのか船が停まっている。メチャメチャ格差を付けて対比させているが、主役はこちら、農民たちだ。この作品では、まだ写実的表現がハッキリしていて実に見事。完璧なデッサン。光りの扱い方。絵というものの定義が判らなくなる程の傑作。

もう一つ、”夏の夕暮れ”という作品。やはり川を背景に貴婦人がティータイム?なのかな。テーブルには2人分のカップ。椅子も2脚あるが、連れはどこいっちゃった?。なんか、寂しげな疲れたような女性。これと好対照なのがこちら。

”刈草干し”新聞広告に使われていたので、絵に興味無い方も見覚えあろうかと思う。もう既にこの作品ではモネ風なタッチに変わってきているが、描かれてる人物の生きていく為の強さのようなものはモネじゃないな。逞しいよ、裸足だもん。この人物と同じかと思われる女性が”レイエ川沿いを歩く田舎の娘”という作品にも描かれているが、やはり ”この土地で生きる” みたいなチカラ強さを感じるなぁ。思いっきり逆光だし。

この他にもちょっと注目の画家がいたんだけど、それはまた後ほど。
そう、Curion情報もUPしないとな。ん、まぁ、とりあえず...ちょん。